【ザンビ】第一回「アイドルがゾンビと出会うとき」――なぜいまゾンビなのか?【考察】

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※本記事では一般的なゾンビがコンテンツで担う意味を考察しています。

ザンビの考察はこちらからどうぞ

【ザンビ】第二回「アイドルがゾンビと出会うとき」――ザンビはどんな意味を持ちうるか?【考察】
本連載では「アイドルがゾンビと出会うとき」と題して、ザンビプロジェクトがどのような企画でありうるのか、その可能性を探っている。 前回の記事では、ゾンビがコンテンツの中で果たす役割について考察した。 考...

 

今夏、乃木坂46による新たな試みとしてザンビプロジェクトの始動が発表された。

 

現時点でザンビプロジェクトにかんする情報は少ない。 舞台やドラマとしてメディア横断的にプロジェクトが展開されるという告知はあったが、具体的にそれがどのように位置付けられるものなのかは不明である。

依然謎に包まれたままのザンビプロジェクトだが、最も大きな疑問は「なぜゾンビなのか?」ということではないだろうか。コンセプト映像を見る限りその念頭に「ゾンビ」のモチーフがあることは明白だが、いまをときめくトップアイドルが、なぜゾンビといういかにもB級のモチーフに手を出すのか。もっと高尚でクリーンな企画もあっただろうに、敢えてゾンビに挑戦する意味はなんなのか。これらの問いに、まだプロジェクトが始動していない今の段階から答えを試みるのはあまりに早急かもしれない。実際のところゾンビは秋元康の気まぐれで、特に意味はないということだってありえない話ではない。

しかし筆者はこの「アイドル×ゾンビ」という組み合わせにかなり大きな可能性を感じている。それはゾンビが様々な意味を担いうるモチーフであり、そこで語られる話題の多くはアイドルと共有できるものであると思われるからである。というわけで、本稿ではザンビプロジェクトが提起しうる問題を具体的に考えてみようと思う。もちろん以下で述べることは筆者の勝手な妄想でしかない。ザンビプロジェクトがB級路線にガン振りしてくる可能性も無いわけではなく、その場合この記事はとても恥ずかしいことになるのだが、その可能性はひとまず置いておいて、ザンビプロジェクトを見る上で鍵になりそうな点を見ていきたいと思う。

今回はザンビについて考察する前提として、ゾンビがコンテンツの中で果たす役割を整理していく。「はやくザンビの考察を読みたい!」という方は次の記事に進んでもらってかまわない。が、ザンビを考えるにあたって、これまでどのようにゾンビが語られてきたかということを理解しておくことは有用であると思われるので、時間のある方は少しお付き合い願いたい。

 

ゾンビがコンテンツの中で果たす役割

改めて筆者がゾンビに着目した理由を述べておくと、それはゾンビが様々な(社会的)問題を仮託されて描かれてきたという点が大きい。ゾンビとひとくちにいってもその描かれ方は様々であり、明確な定義とか条件はないに等しい。脚を引きずって人間を食べる正統派ゾンビもいれば、言葉を発するゾンビや機敏に走るゾンビもいる。何がゾンビで何がゾンビでないのかという境界は非常にあいまいで、ジャンルとして混沌としている。しかし、だからこそ製作者は自身のメッセージに好都合なようにゾンビを改変して作品をつくることができ、これがゾンビというジャンルの発展を支えてきたという背景があるのも事実だ。

例えば、ゾンビ映画の嚆矢であるジョージ・A・ロメロの『ゾンビ』では、ショッピングセンターに集まるゾンビを消費社会に翻弄される大衆の象徴として描かれたことが知られている。また近年の『ゾンビ・サファリパーク』という映画では、難民に不寛容な社会への痛烈な批判がゾンビに込められている。

たしかにゾンビは適度なパニック感を演出するのに適していたり低予算で制作ができたりと、なにかと制作する側としては都合がいい存在であり、ある意味「安易な」ゾンビ映画が世に溢れていることは否定できない。しかしゾンビがでてくるからといってすべての映画がB級であるわけではなく、つぶさに観てみると低予算ながらも示唆に富んだ作品も少なくないのだ。

 

ゾンビの担いうるメッセージ

ではゾンビは具体的にどのようなメッセージを担いうるのだろうか。

このことを考えるにあたっては、ゾンビが作中でどのように描かれているかという観点が重要だ。先述したようにゾンビは非常にフレキシブルな存在であり、作者の意図によってその描かれ方が変わってくる。だから我々がゾンビからなにかを読み取ろうとする際は、ゾンビがなぜその特徴を持っているのか考えるのが良い。ここでは様々に描かれるゾンビの特徴のうち、作者の主張を担いうるようなものをいくつか例示してみよう。

 

1使役される存在

ゾンビ化の原因には大きく分けて二つある。呪術とウイルスである。最近ではウイルスがゾンビ化の原因になることが多いが、もともとゾンビはハイチのヴ―ドゥー教という現実に存在する呪術をモデルとしたものであった。このゾンビの特徴は、何といっても呪術者の存在にある。呪術者がいるということは、(それが直接には影響を及ぼさないとしても)そこには呪術者の何らかの意図が潜んでいるということであり、その責任が追及される形で物語が進んでいく。こうしたことからこのタイプのゾンビ映画では、社会を裏で牛耳る特権的な人々への批判や、ある種の権力構造自体の批判に繋がることが多い。一方で、ゾンビはあくまで使役される存在であるため、ゾンビは特権的な地位にいる者に翻弄される人々として同情的に描かれやすい。

 

 

2同質化を強いる存在

ゾンビ化の原因がウイルスである場合、たいていゾンビは人を襲う性質があり、ゾンビに傷つけられる/食べられることによってゾンビ化が拡大していくことが多い。少し抽象的だが、これは暴力的に同質化を強いることであると捉えられる。同調圧力と言い換えてもいいかもしれない。この文脈においてゾンビは、自らの価値観を他者に強要する存在として批判的に描かれることになる。

 

3単一の欲求

基本的にゾンビには意志や理性が欠けているため、高度な欲求は持たずなにかの目的のために行動することはほとんどない。しかしゾンビにもひとつだけ行動原理といえるものがあり、それは人間を食べたいという欲求である。例えばゾンビは自己実現のために勉強するとかいうことは殆どなく、ただ人間を追い求めて彷徨うばかりである。このことは、ゾンビはたった一つの価値観しか持たないと言い換えることができる。ゾンビのこうした側面にはゾンビを単一の価値観に縛られる人々の風刺として解釈する余地があるだろう。
また単一の価値観しか持たないということは、他者を理解する余地がないことを意味する。例えが悪いかも知れないが、「トランプこそ絶対的に正しい」というほどまでに価値判断がドグマ化してしまった人に移民の受け入れを説得するのは至難の業であろう。そもそもゾンビには意識が欠けているから、いくら説得を試みたところでゾンビは否応無く襲い掛かってくるだろうが。なんにせよ、ゾンビには異なる価値観を受け入れる余地がないわけで、このようなことから、ゾンビは異なる価値観への不寛容さを先鋭化させた存在として描かれることもある。

 

4理解不能な存在

さらにゾンビの人間を襲おうという行動原理自体、人間の生存と根本的に対立するものであり、極端に相容れない存在である。コミュニケーションが成り立たないということも含めて、ゾンビは究極的な他者という性格を持つ。主人公の仲間がゾンビに襲われゾンビ化し主人公が葛藤に苛まれながらも仲間を殺す、みたいなシーンはありがちだが、このシーンは我々の隣人もちょっとしたきっかけで理解の及ばなくなってしまうことを示唆するものだと読むことができる。1)例えば、親が新興宗教にハマってしまったり。明確に利害が相反し分かり合えそうにもない相手に、我々はどれだけ寛容になれるか、寛容になるべきなのか。ゾンビはこうした問いを投げかける。

 

5他者を欲望する存在

また、たんに人を襲うというだけでなく、人を食べたいというゾンビの欲求が強調されると、ゾンビと人の争いは、「欲求する者」と「欲求される者」の争いとして描かれることになる。食人の欲求は理解しがたいものだが、しかし一歩引いて「人を欲求すること」としてみるとそれはとても身近な感情でもある。例えば誰かを恋しく思ったり、誰かから認めてもらいたいと思ったりすることは我々が日常で自然に経験することである。しかしこうした気持ちは他者に自分の欲求を投げかけることに他ならない。相手のことを顧みず、自らの欲求に他者を従属させるようなことがあれば、それは「人を食べたい」というゾンビの欲求と大して変わりないものであることに気づかされるだろう。このようにゾンビからいかに他者と関わるべきか、という戒めを引き出すこともできるだろう。

ゾンビ=人間の在り方を問う存在?

ゾンビの持ちうるメッセージ性を挙げていくと際限がないためこのあたりで止めておこう。今回紹介したゾンビの解釈は数ある中のごく一部であるが、ゾンビは描かれ方によって多様なメッセージ性を作品に付与することが可能だということを、ある程度示せたのではないだろうか。

無理やりまとめると、ゾンビは「人間の在り方」を浮かび上がらせるのだということができるかもしれない。ゾンビは人間の形をしていながら、しかし明確に人間ではない存在だ。ゾンビコンテンツは、そうした「人間ではないもの」を示すことで本来の人間のあるべき姿を浮かび上がらせようとする営みなのかもしれない。

それではゾンビがそのような存在だとして、それがアイドルの文脈に置かれた時どのような意味をもつようになるのだろうか。おそらく、それはアイドルあるいはオタクの在り方を問うものになるのだろう。次回の記事では、この点をより詳しく検討していこう。

 

 

References   [ + ]

1.例えば、親が新興宗教にハマってしまったり。