Netflix『ストレンジャー・シングス』シーズン3を見た感想。+子供たちの成長について。【基本ネタバレなし】

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ついに公開!シーズン

3海外のドラマ事情に少し詳しい人なら知らない人がいない作品、その1つが『ストレンジャー・シングス』だ。先日、満を辞してシーズン3が公開され、その人気が世界中で再燃している。今回、全話見た後のレビュー・考察としてこの記事を書こうと思う。

正直、シーズン1を見た時点での自分の中での印象はイマイチだった。リアリズムや人間の内面に対する描写を追求した作品の方が個人的には好みだったので、露骨でわざとらしいCG満載のサイエンス・フィクションには寒さを覚えるタイプだった。しかし、惰性というものは怖いもので、人に愛着を覚えさせる。登場人物の個性に惚れ、どんどん惹き込まれていく。シーズン3にもなると、最早見ないわけにはいかない。

まずは、あらすじを追ってみる事にしよう。

あらすじ

デマゴーゴンが住む異界とのゲートが閉ざされてから数年。事件に関わったホーキンズの住民は生活を取り戻し、日常を取り戻した。エルやマイクといった子供たちも、自分たちの成長に戸惑いはするものの、どこにでもいるような当たり前のティーンエイジャーとして日々を楽しんでいた。ある日、しばらく引っ越していたダスティンが街へ帰ってくる事になる。引っ越し先で作った彼女をアマチュア無線で紹介しようと友人を引き連れて山に登ると、怪しげなロシア語の無線を傍受してしまう。一方、街では様々な異変が再び始め、新たな謎を解明しようと人々が動き始めていた…。

感想:SFとしてまず、率直な感想。

いい意味でも悪い意味でも、安定した面白さだった。やはり世界中が待ち望む超大作なだけに、映像の造り込みやストーリーの展開は期待を裏切らない。「吉野家に行けばうまい牛丼が食べられる」のと同じように、「ストレンジャー・シングスを見ておけばスリリングな体験が出来る」のだ。新たな登場人物はあまり多くないけれど、その分だけ見慣れたキャラクター達を深掘りできる点が良い。

しかし、この「安定した面白さ」は、裏返して言えばマンネリ感にも繋がっている事も一方で否めない。「何が街に潜んでいるのか?」気になってしょうがなくなるような、強烈にそそられる好奇心はもう無い。例えるなら、どこに何が出てくるのか分かっているお化け屋敷のような感じだ。

それでもシーズン4が出たら絶対見るんだろうなぁ、だって気になっちゃうんだもの(因みに、最後の終わり方からして概ねシーズン4は確定です)。

キャラクターの『成長』に注目せよ

さて、視点を変えてみよう。

今シーズンには裏に隠されたテーマとして、子供たち自身の「成長に対する葛藤」があった。†本編のプロットも大事だけれども、寧ろ僕はこっちに惹かれた。

『ストレンジャー・シングス』がこれだけ流行った理由には、『ゴーストバスターズ』や初期の『ハリーポッター』のような、無邪気に謎へ立ち向かう子供たちのイノセントな可愛さが十分に関係していたように思う。しかし今回のシーズン3の段階では、主人公たちも中学生となって思春期に差し掛かり、保護者からの自立や恋の芽生えといった新たなフェーズに移行しつつある。こうした中で生まれる複雑な感情の軋轢が、物語に深みを与えた。視聴者の視点では、歯並びを悪くして笑っている子供たちをシーズン1から見ている分だけに、彼らの成長が客観的に感じ取れる。初めて見る90分の映画とは違い、キャラクターの成長にどっぷりと感情移入させられる。それだけに、最後のシーンは涙無しには見られなかった。それに、時間が経つのは子供たちだけでは無い。既に登場しているキャラクターたちにも、心情の変化が見られる。シーズンを重ねる人気作だからこそ、あまり登場人物を変えず、少人数に絞ってフォーカスしているからこそ、こうした奥行きを作品に与えられるのではないだろうか。

次回作に期待!

というわけで、続きが気になる。結末としては、新しい動きがある模様。そりゃあそうだ、これがないとNetflixの戦略にも響くだろうもの。

待ってます。